普通って、何だろう?「普通」という言葉が使われている時、私は時々考えてしまう。何が普通なんだか誰もはっきりと説明できないのに、「それが普通だよ」と言われたらそんなものかと思ったり、自分ではまっとうだと思っていても「普通はそんなこと言わない」とか言われたら、 何だか心細くなって、自分が間違っているのではないかと思ってしまったり・・。 まあ、大抵の場合は「多数派」が普通の範疇となるようである。 ・・ということで、「普通の国家」という言葉である。 今では「憲法第九条」を頑固に主張していると、何だか普通じゃないような論調さえ見られる。 私は、憲法は改憲論議されて当然だと考えているのだが、「戦争放棄、軍備および交戦権の否認」という九条だけは、何とか保持して欲しいと考えている。 はっきり言おう。 私が九条は平和のために重要な思想だと思うのは、「直感」である。 しかし、自分の直感の根拠を論理的に述べたいと思っても、悲しいかなそれができる力量がないので、結局「空想的ロマンチストの感情的な主張」みたいになってしまいがちだ。 現に、日本が「普通の国家」としてアメリカを初めとする大国と肩を並べ、責任ある立場をとらなくてはならないと考える人たちは、九条を主張する人達を普通ではないように批判したりもしている。 多数派が正しいと決まったものではないのに、どうして「普通でない」というような曖昧な言葉で批判するんだろう。 この国で、「普通」で何かが主張される時ほど、危ないことはないのでははないだろうか。 ついつい悔し紛れに、そのように天邪鬼な言い方をしたくなるのだが、それでは同じ穴のムジナかな。 私はできれば周囲と協調路線で、「普通の傘の中」でぬくぬくと生きて行きたいタイプなのだが、どうも希望と現実は違うみたいで「普通じゃない」と言われてしまうことも多い。 だけど、そのように言われることを必ずしもイヤだとは思っていない。 だから憲法九条についても、私は「普通じゃない国家」で頑張ってほしいのだけど、いまやそれを主張するのはあの社民党と共産党くらい。 どうも、分が悪いな・・。 2003年11月03日 ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|